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瓦葺き 青野 光男 あおの みつお [静岡県屋根技術高等専門学院] 自分でなんとかしてしまう人 高校生だったにもかかわらず、お父様が病気で家族6人の生計の為にジャズ喫茶を開店したこと、瓦葺きの積算表を作成して業界の経営近代化の先鞭をつけたこと、安全な瓦屋根にするため屋根の棟の施工にモルタルを使用した耐震工法を考案したこと、瓦葺き職人の養成の為に職業訓練校を設立したこと。青野光男さんは「自分がなんとかしなければ」と想いを強くして「自分でなんとかしてしまう」ことのできる人のようです。
プロフィール [PROFILE]
生年月日…昭和15年(1940年)2月1日
出身地……静岡県田方郡韮山町四日町(現 伊豆の国市四日町)
所在地……[静岡県屋根技術高等専門学院]三島市松本188-13
       [株式会社 アオノ]静岡県三島市南二日町24-17
           (事業所 静岡県三島市松本188-1)

・昭和33年(1958年) 静岡県立三島南高校 卒業
・昭和34年(1959年) 青野瓦店 開業
・昭和36年(1961年) 有限会社青野瓦店 設立
・平成元年(1989年) 株式会社アオノに社名変更
・平成04年(1992年) 認定職業訓練校静岡県屋根技術高等専門学院 開校
・平成09年(1997年) 職業訓練法人 国際総合技能育成協会 設立
・平成18年(2006年) 株式会社アオノ 取締役会長 就任
・平成18年(2006年) 静岡県屋根技術高等専門学院 校長就任

◆昭和48年(1973年) 労働大臣感謝状(技能検定への貢献)
◆平成12年(2000年) 静岡県知事賞(優秀技能者)
◆平成18年(2006年) 厚生労働大臣認定 卓越技能者「現代の名工」
◆平成20年(2008年) 黄綬褒章
現代の名工とは
卓越した技能者表彰制度に基づき、厚生労働大臣によって表彰された卓越した技能者(卓越技能者)の通称です。
卓越した技能者表彰制度は、技能者の地位と技能水準の向上を図るために、昭和42年(1967年)度に設けられたもの。表彰を受ける者は、都道府県知事や事業者団体などの推薦を受けた候補者の中から、技能者表彰審査委員の意見を聴いた上で、厚生労働大臣によって決定されます。

・・・・・・瓦葺き(かわらぶき)とは・・・・・ 
陶器製(粘土瓦)や石(石瓦)、セメント(セメント瓦)、金属製(銅瓦など)のものを用いた、全世界で行われている瓦を用いた屋根仕上げ。建材である瓦で屋根を葺くこと。
ゼロからの出発
青野さんの生家は、祖父が清水で瓦製造業を営んでおりました。後に韮山に移り父が継続しましたが、瓦に適した土が取れなくなって仕入れ販売業になりました。青野さんは、子供の頃から仕入れや納品などで、父と一緒にまわりました。子供の頃から父の跡を継いで瓦を扱う仕事につくと決めていました。17歳のときでした。父が倒れました。青野さんはまだ高校生です。長男として、家族6人を支えなければならなくなりました。「どうしよう」青野さんは、ジャズが好きでテナーサックスを吹いていました。とりあえず「ジャズ喫茶をやろう」高校を卒業したら、父と同じ仕事につくことに決めていたので「とりあえず」でした。ジャズ喫茶は、結構繁盛したようですが、高校を卒業して19歳のとき、子供の頃から決めていた瓦の販売店を開きました。

お父様は「金は道具だ」と言っていつも何がしかの現金を手元に置いていました。いい材料、いい職人をすぐ手配できるようにする為でした。お父様の経営の方法も取り入れて、質のいい瓦を仕入れ、腕のいい瓦葺き職人を手配して、自分も瓦葺きのイロハから学びながらの船出でした。
工夫を楽しむ
今のような動力機がない時代、瓦葺きは重労働でした。
瓦も枚数が多くなると重く、下地の泥土も屋根に上げなければなりません。青野さんは、なんとかならないかと考えました。思いついたのが、トラックのエンジンを利用することでした。後輪をはずし、駆動軸にワイヤーロープを巻き、ロープの先端には滑車と荷台のようなものを取り付けて、瓦や泥土を入れて、屋根まで上げるという、リフトのようなものを作りました。今では瓦を上げるはしごの形をした機械がありますが、青野さんはうまく考えたものです。

瓦葺き施工の副資材としてモルタルを採用したのも青野さんがはじめてだそうです。タイル貼りにはモルタルを下地にしますが、青野さんはそれにヒントを得て「屋根の軽量化を図る点で、モルタルは少量にして丈夫。土よりも効率がよく、しかも強度もある」と試してみました。結果は上々でした。桟瓦の止め材にステンレスのビスを採用したのも青野さんです。これらの施工方法は、その後、全国に広まりました。先鞭をつけたのは青野さんです。
瓦の技術を後世に残したい
瓦葺き職人が少なくなってしまうことに、青野さんは危機感をいだきました。「なんとかして職人を育てたい。」青野さんは瓦葺き専門の職業訓練校をつくる計画を立てました。業界団体に働きかけましたが、資金面で色よい答えが出ません。

青野さんは、思い切って自己資金で開校しようと意を決しました。それが今、青野さんが力を入れている「静岡県屋根技術高等専門学院」です。平成4年に、三島市南二日町の青野さんの会社の敷地内に開校し、現在の三島市松本に移転しました。職人の育成のほかにも、業界の近代化経営にも貢献しました。それまで、いわゆる“どんぶり勘定“的な工費の算出から、屋根の部位や人件費、消耗品など細かな項目を立てて、積算表や瓦材料費の基準表を独自で考え、全国の業界をまわり普及に努めました。また、瓦葺きの技術をまとめた教科書改訂特別委員にもなりました。野さんは、自分のことよりも、自分がそのなかの一員となっている瓦業界のことに重きを置いて行動しています。
インタビュー [INTERVIEW]
Question   この仕事を始めたきっかけはなんですか? Answer もともと、父の仕事が瓦販売業だったのがきっかけです。物心がついたときから、自分は瓦屋になるんだと思っていました。他の仕事につきたいと思ったことは一度もありません。瓦屋になっていろいろな人と出会い、いろいろ経験できたことがうれしいですね。
Question   この仕事につくためになにが必要だと思いますか? Answer いろいろな現場がありますし、いろいろな屋根や瓦がありますので、基本となる技能を臨機応変に対応できる応用力が必要です。そのために、日々の努力や妥協しない追求心が大事です。
Question   この仕事をしていてよかったことはなんですか? Answer この仕事は、誰でもすぐに出来る仕事ではありません。でも、その仕事に長年携わったことが本当にうれしいです。そして、この仕事で多くのことが経験できたこともうれしく思います。
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